小説論



 ところ変わって、少し真面目な話を。
 風見さん*1と大谷さん*2がオリジナル論ということで語られてますので便乗して自分の視点で少しなにか語ってみようかと。
 個人的には、文章を書くということは抑えることだと思います。
 それは二次創作という限定的な分野にも言える話ですが、無限に広がっていく自分のストーリーの中でどれだけすべてを吐き出したい自分を抑えて、未完のストーリーを完結させるか。
 その中で、最も完成した形がどれだけ人が楽しませられるものかということだと思います。エンターテインメント性とは即ちそういうことですが、これは個人個人で楽しめる分野が違うため、必然的に大多数に受け入れられる話、ということになります。それは勿論自分も楽しめるものである時が多いですが、時にはどんなに入れたいエピソードがあろうとも、自分を殺して削除しなければならない。
 その中で重要視されるのがいかに自分をマジョリティの視点に置いて、作品を客観視するかという点になるわけですが、これに関しては以前、AHH氏が語っていたこんぺ論が適用されるかなぁと思ったりします。山型というパターンがはっちゃけることだとしたら、海型というパターンは自制することだと個人的には思いますし。
 で、本題。取捨選択の根拠。どのエピソードがマジョリティに受け入れられ、疎外されるのか。
 これについて、個人的に最も重要なのは経験だと思ったりする訳です。
 元からある才能、即ち先天的なセンスと自分なりに書いてきて身につけた技術、そして勿論経験を含め、それらすべてが自分の幅を広げる為の道具だと仮定します。それらに相乗され無限に広がった数多の道筋から一つを選び取るのはどんな話が大多数に受け入れられやすいかという経験則であり、それを身につけられるのはやはり書いてみた上での読者の反応(但し、大多数の反応という意味合いが入るため、これはこんぺという舞台くらいしか適応しないと思ったりしますが)であり、今まで読んできた小説だと思う訳です。
 とまあ、えらそう*3に語ってみましたが、自分で訳わかりません。それに、キャラが動くこと自体に価値がある二次創作と違って、オリジナルという舞台においては海型の文章は受け入れられないと思いますし、いかに脱線しない程度に振幅の限度を設定するかとかなるんですが、オリジナルは私も数本(実質的には一本)しか書いてませんし、経験がやっぱ足りないなぁと思います。
 以上。というか、やっぱアホ曝け出しただけでした。あうあうあー。